公益財団法人日印協会事務局長に就いたのは、2015年7月1日です。一般財団法人日・タイ経済協力協会(JTECS)専務理事を退任する総会・理事会が6月末に開催され、それまでは正式な所属はJTECSでした。JTECSには4月から専務理事後任として米田氏が業務引継ぎのために在席していたので、6月22日~29日まで日印協会委託でインド出張した期間を含め、6月以降は実質的に日印協会にて業務をしました。
2017年6月に日印協会事務局長を辞した後も、参与という肩書をいただき週1~2日、月に5日程度は事務局手伝いをしてきました。時に欠落していた機関誌を探し、機関誌の歴史を調査し、時に新刊書紹介などを寄稿してきましたが、2019年に入ってからは機関誌の推敲・校閲などを(テレワークで)お手伝いをしながらも事務所には疎遠となりました。そのような中でも、「野生司香雪顕彰会」や「夢野久作と杉山三代研究会(杉山龍丸)」などで日印協会事務局がカバーできない分野を中心にインドとの関係を維持し(特にインド大使館との連絡など)、振り返れば2020年6月時点で日印協会との関係は5年を過ぎてしまいました。
コロナ禍で時間が有り余っていたことともあるが、自分のホームページを立ち上げようと考えた理由は、いわゆる現職の仕事を全て引退した後にも求められるボランティア的な仕事があることに感謝し、何か社会にお役にっつようなことをしなければならないと感じたからです。それが「野生司香雪顕彰会」と「杉山龍丸研究」であります。特に前者については、英文版のホームページを「本体の野生司香雪画伯顕彰会」のサイトと相互にリンクさせることとなりました。
2001年にジェトロ・ニューデリーに赴任しインドと関わるようになり多くのインド本を読みました。フィリピン時代は経済調査担当でしたから多くの原稿を書きましたが、インドでは優秀な若い調査担当がいたので、自分は事務所管理に徹し、頼まれてたまに雑文を発表してきました。それ以来、インド関係で最も多くの原稿を書いたのは日印協会「月刊インド」です。「新刊書紹介」にかなり多くの投稿を続けましたが、機関誌という制約があるので、基本的に「新刊書紹介」であり、「書評」ではありません。しかし、この欄で紹介する以上は著者に敬意を払いつつ熟読した上で、紹介文が短文の場合も長文の場合も、求められる字数に応じて毎回真摯に紹介文を記してきました。