インドの砂漠を緑化した「グリーンファーザー・杉山龍丸」について

 杉山満丸さん(杉山龍丸の長男)にお会いしたのはいつ頃だっただろうか?

多分、2016年の夏であったと思う。9月にはFacebookの友人になっている。どうして連絡するようになったか具体的なきっかけは記憶にないが、こちらから友達申請した。インドで砂漠緑化したという「杉山龍丸」のことをどこかのテレビ番組で見たかして、こちらからFacebookで自己紹介したと思う。

 2001年~2005年にかけてインド駐在し、かつジェトロで経済産業協力事業の一端を担いながら、あれほどの実績を残した人の名前はおろか、そのような日本人がいたことさえ何も知らず、インドでインド人も日本人も杉山龍丸の名前を挙げる人は皆無であった。いくら自分が不勉強者とは言え、本当に不思議なことと思われた。果たして本当なのか、本当なら何故我々は名前を聞いたこともないのか、大いに疑問であった。

 満丸さんから、提供される資料を拝見するうちに、日印の戦前・戦中・戦後の歴史、特に1955年頃までの緊密な関係、その後の東西冷戦下でのよそよそしい二国間関係、そして冷戦終結後の新しい関係を見て、龍丸の活躍した時代が正に東西冷戦時代で、そのような中を一人奮闘する龍丸の姿が自分の目にはっきりと浮かんでくるのであった。日本政府の支援はなく、インド政局にも翻弄されて、「知る人ぞ知る」、ほとんど人に知られずに全財産を投げ売って「孤軍奮闘」、どうしてそういうことになるのか、興味を掻き立てられずにはいられなくなった。

 その年の晩秋に、後に雑誌「正論」に「小説・台湾~明治日本人の群像」(後に「台湾を築いた明治の日本人」として単行本に)を連載する拓殖大学学事顧問・渡辺利夫先生(元学長・前総長)に約18年ぶりにお会いすることになった。先生は、台湾で開発された蓬莱米が「アジアのグリーンレボリューション」に貢献することになる一つの重要な契機をもたらした人物として杉山龍丸のことを研究され始めておられ、アシスタントの総長室石崎さんが資料を渉猟する中で満丸さんに辿り着き、満丸さんから書籍を借りていた私にコンタクトされたのであった。渡辺先生が筑波大学か東京工業大学で助教授をされていた1980年代末から1990年頃に、ジェトロの「アジアの経済発展」研究会の主幹をされていた先生にご指導いただいた。私はフィリピン帰りであった。なんという僥倖であろう。

 

 2018年の第6回「夢野久作と杉山三代研究会」、2019年同第7回研究会にて研究発表したことを、母校・長野県上田高等学校65期のホームページに投稿したので、先ずはそれを紹介したい。

 

「グリーンファーザー杉山龍丸」のインド緑化の時代(2018425日)

 http://ueda65ki.sakura.ne.jp/NEWS/Miyahara_Essai180425.pdf

 

「杉山龍丸」研究について(2019416日)

 http://ueda65ki.sakura.ne.jp/NEWS/Miyahara_Essai190415.pdf