情報サービス部(地方事業課長、情報サービス課長)の頃

《阪神・淡路大震災》

1995117日 阪神・淡路大震災が発生した。その時、米国は116日ではあったが、ちょうど1年前の1994117日にロサンゼルス近郊のノースリッジで大地震が起こった。暦の上では同じ日だ。自分にとっても家族にとって良い思い出ばかりのサンフランシスコ勤務の中で、あまり愉快でない思い出がある。それは阪神・淡路大震災に関連した現地メディアの報道である。通勤途上に聞いた地元ラジオ局は「ちょうど1年前にノースリッジ地震の現場視察した日本人地震学者は、もし日本でこの程度の地震があっても、あのように高速道路が落ちるような悲惨な大被害は出ないと言っていたのに(日本の神戸で大災害が起こった)・・・」と何回も繰り返すのだ。妙に含みのある不思議な感触の言葉で、何回も繰り返すので何だろうと訝しく思った。そればかりではなく、その後は「アメリカ人の子供がチョコレートを神戸に送ってくださいと日本大使館に持ってきたのに、大使館は受け取りを拒否した。日本人はお金なら受け取ると言った」とか、そういう悪意に満ち歪曲された作り話を米メディアは流し続けた。大使館や総領事館がそれは誤解だと抗弁すると、更に執拗に繰り返し放送された。今思えば、米国の(特に西海岸の)メディアは中・韓両国の「反日教育」を反映していたと思う。その頃の貿易摩擦を巡る米国の対日批判が、中・韓の「反日的」悪乗りを助長する雰囲気になっていたように思う。

《地方事業課でローカル・ツー・ローカル事業》

同じ年の夏に3年半を過ごした米国サンフランシスコを後にし、東京本部情報サービス部地方事業課長のポストに就いた。ジェトロでは地方事務所(熊本)勤務を経験していたこともあり、地方経済の国際化と産業振興は自分にとって天職であると思っていたのでまさにピッタリの部署への配属だった。地方事業課長を約2年、隣の情報サービス課長を約1年務めたが、この約3年間は我ながら密度の濃い仕事ができたと思う。その後、ジェトロがアジ研を統合した日に仙台事務所転勤の辞令を受けたが、本部での地域活性化に関する様々な仕事は、仙台では現場で自ら実践することとなった。仙台のことは別途書くこととし、ここでは地方事業課の仕事を記す。

ローカル・ツー・ローカル(Local to Local or Region to Region)という日本の特定地域と海外の特定地域が、明確な目的をもって産業交流をするのを支援しようという事業。交流する両者がWin-Winの関係になるような仕掛けを拵え、お互いが熱心に取り組むことが条件でもあり目的でもある。この事業説明ために全国の地方事務所と地方自治体(道府県や市町村)を回り、県・市や地場産業の組合等から大いに注目された。

「個所付け(カショヅケ)」という役人言葉も教えられた。各地方で通産局とジェトロ事務所とが連携して自治体とともに実行していくことが求められ、この事業が始まった年の全国通産局長会議の場で事業説明をした。一通り説明し、質疑応答になった時に一人の通産局長が「何故このような事業をジェトロが行うのか?むしろ通産局が主体的に実行すべき事業であるにもかかわらず、それが本省からも地方局からも新事業として上げられなかった」と言うのである。要は本省の地方通産局担当部署、即ちその会議を主催する担当課を「ケシカラン」と責めているのであるが、(何も悪いことをしていないのに)当方も一緒に叱られているような気分であった。時々料簡の狭い役人には辟易とさせられるが、当時すでに通商貿易の自由化が進んでいるなかで、地方局が「許認可」することはほとんどなく、サービス行政しか残されていないので、地方局が「カショヅケ」できそうな(管轄自治体にいいカッコウの出来る)妙味のある事業と思われたようだ。それほど地方局長が評価する事業なのかと、半分以上は「褒めらた」と理解した。その後、15年~20年も続けられたこの事業の枠組みの中で実施された事業成果を分析してみる必要があるだろう。

 《神戸復興と諸外国の都市再開発支援策》

国際港、外資系企業の集積、中小企業の立地、観光産業の集積等々で栄えてきた神戸は、危機に立たされた。様々な復興事業を打ち立てたが、その中に「神戸エンタープライズ構想」が立ち上げられた。当時、輸入促進・対内投資促進のための物流拠点整備FAZForeign Access Zone)事業が通産省と運輸省で進められていた(大蔵省は税制上の支援はしないとの理由から外れている)が、神戸エンタープライズ構想も併せて、有効な復興事業が始められることが期待された。兵庫県・神戸市は固定資産税や不動産取得税の減免など地方治体が自ら実行できる振興策を打ち出したものの、大蔵省は地域振興策に国税の減免措置は講じないと姿勢。不公平になるから基本は崩せない非常に硬い。諸外国の地域活性化における税制上の支援策はどのようになっているか、それを大蔵省との交渉材料にしてもらえないかと一縷の望みをかけて、ジェトロ海外事務所に情報収集をしてもらい纏めたのが、ここに添付した「海外諸国における拠点集中開発(都市再開発)計画について」(19966月)である。経済情報部(調査)と情報サービス部(地方事業課)が共同で地方経済のために役立つ情報を収集しようという試みで、真の目的は大蔵省と戦っている神戸市への弾薬支援であった。各海外事務所からの情報は「通商弘報」に掲載されたが、元々計画にない調査・情報集なので本として発行することは認められなかったので、自分で資料を整理して必要部数を作成した。2か月ほどの仕事であったが、兵庫県・神戸市・ジェトロ神戸事務所等々に配布した。

この非公式に纏められたレポートを関係先に配る直前に、調査・情報収集の背景・目的・調査結果(海外事情)について畠山理事長(当時)に説明した。そこで大蔵省が税法上の特別措置を認めることは絶対あり得ないだろうとの感触ながらも、面白いことをしたと評価された(あるいは呆れられた)ことを覚えている。

 このレポートの、初言と目次のみ掲載し、また当時の兵庫県・神戸市の活動について新聞記事を添付する。背景や雰囲気をを理解してもらえると思う。大蔵省の壁は厚く、このレポートが結果的に何ら功を奏したという訳ではなかったが、ジェトロは海外事務所と地方事務所、そして地方自治体との連帯感が深まったと自負している。(20200427


海外諸国における拠点集中開発(都市開発)計画について~1996年6月、ジェトロ海外経済情報センター(経情部、情サ部)