The Sunday Times

PLUS, Sunday, October 29,2023

A marvel of murals and cooperation

The ancient frescoes at the Mulaghandakuti Vihara built by Anagarika Dharmapala in Sarnarh, India have been restored to their former glory by students of the original artist form Japan

 

Near century-old murals in the main hall of the iconic Mulagandhakuti Vihara built by Angarika Dharmapala in holy Isipathana (Sarnath, Varanasi) have come to life once again. The vihara is where the most revered sacred relics of the Buddha, discovered by British archaeologists near Texila in colonial India in 1913-14 and handed over for the safe custody to the Maha Bodi Society of India, are enshrined.

With the withered paint peeling off the murals due to inevitable decay caused by the passage of years, it was a team of exparts from Japan who have come to the rescue and restored the frescoes to their original magnificence.

Anagarika Dharmapala built the temple at Sarnath at the turn of the 20th century, for Buddhist of the world to venerate the site at which the Buddha enunciated the Doctrine of the Middle Path for the first time. That message was taken throughout Central Asia to Persia (present day Iran) and the Far East to Japan by merchants, explorers and pilgrims alike.

Dharmapala had envisioned murals depicting chronicles of the life of the Buddha on the wall of the newly-built temple. Having visited Japan several times he had been greatly impressed by their ancient artistic and cultural life. As a founder member of the Japan India Association (JIA) which exists to this day, he asked for the help to find an artist who would do justce to the temple he had built. JIA turned to the Imperial Japanese Government for assistance.

Fresco artist Kosetsu Nosu, son of a Mahayana Buddhist monk who had studied the famous cave paintings at Ajanta was the ideal candidate for the task. Familiar with the fusion of Indian and Japanese art, he was recruited and spent five years in India completing the murals.

Dharmapala himself was able to see only a single sketch of Kosetsu’s drawings –“Conquering the davils and Enlightenment”.  Pleased with what he saw, he gave Kosetsu the green light for the project. Dharmapala passed away four months later in 1933 in Sarnath unable to see the finished product of the murals -44 meters in length and 4.4 meters in height.

With Dharmapala’s passing, Kosetsu funded the project himself by holding exhibitions of his own paintings. JIA and the Japanese Government chipped in later.

The people of Varanasi recorded their appreciation of the artist’s mural completed in 1936 in a letter they sent Kosetsu. He received a “ roar of applause” at the Tokyo station  on his return to Japan, according to Yutaka Miyahara of the present-day “Society of honoring the Master Artist Nosu Kosetsu”.

The restoration work of recent times was began just before the COVID pandemic struck. Venerable Secretary Seewalee Thera, General Secretary of the Maha Bodi Society of India made contact with JIA who together with the Indian embassy in Tokyo tracked down Kosetsu’s descendants in his birthplace of the Kagawa Prefecture. They turned to Professor Takayasu Kijima and Curator Professor Shigeki Mizobuchi.

When word went around that the Maha Bodi Society was seeking help- and funds, as the Indian Government at home had blocked it from accepting foreign currency under its Foreign Currency Regulations Act (FCRA), the Buddhists of Kagawa Prefecture freely donated money for the restoration project.

Restoration work began in earnest shortly thereafter, and the first phase was conducted at the end 2019, when the worldwide pandemic disrupted the work. Laat year, the project resumed and successfully completed by a team led by Prof. Mizobuchi.

Today, as pilgrims from all over the Buddhist world resume visiting holy Sarnath post pandemic, and attend the reciting of Dhammachakka Sutra (unfailingly  performed every evening at the Mulaghandakuti Vihara through world wars, monsoons and pandemics) they will be able to see the marvel of Kosetsu’s hybrid Indo-Japanese murals once again in their full splendour.

This is also a story of Indo-Japanese cooperation spreading over a century, the devotion of legendary Japanese artist, commitment by his family and his students, the

spontaneous philanthrophy of the humble people of Kagawa Prefecture, and the backing of the Governments of India and Japan to support the temple built by a Sri

Lankan in India.

 

Picture 1: Kosetsu’s hybrid Indo-Japanese murals once again in their full splendour. Mara and his army attack Bodhisatta and top right,

Picture 2: Offering kheer by Sujantha to Bodhisatta

Picture 3: Restoration work in progress at the Mulaghandakuti Vihara

Pictute4: Behind the restoration: (Lr), Yutaka Miyahara, Prof. Shigeki Mizobuchi and Nishimoto Tatsuo of JIA, holding up an Image of legendary artist Kosetsu

 

  

サンデー・タイムズ紙(スリランカ週刊紙)

PLUS20231029 日(日)

「奇跡の壁画と協力」

インドのサールナートにあるアナガリカ・ダルマパーラによって建てられたムラガンダクティ・ヴィハーラ(初転法輪寺)の古い壁画が、日本人画家の後輩たちによってかつての輝きを取り戻しました

 

聖イシパタナ(バラナシ州サールナート)にアナガリカ・ダルマパーラによって建てられた象徴的なムラガンダクティ・ヴィハーラの本堂にあるほぼ100年前の壁画が再び甦りました。 このヴィハーラには、1913 年から 1914 年にかけて植民地時代のインドのテキシーラ近郊でイギリスの考古学者によって発見されインド大菩提会に引き渡された、最も尊敬される仏陀の神聖な遺物(仏舎利)が安置されています。

このお寺の壁画が年月の経過による避けられない劣化により、剥離していたところを、日本人チームにより元の素晴らしさに修復しました。

アナガリカ ダルマパーラは20 世紀初頭に、釈迦が初めて「中道」を説いたサールナートに世界中の仏教徒が崇拝するために寺院を建てました。 そのメッセージは、商人、探検家、巡礼者たちによって、中央アジア全域からペルシャ(現在のイラン)、そして極東の日本にまで届けられました。

ダルマパーラは、新しく建てられた寺院の壁に仏陀の生涯の年代記(釈尊一代記)を描くことを構想しましたが、 彼は何度か日本を訪れており日本人の古代からの芸術的、文化的生活に大きな感銘を受けていました。 そこで彼は今も存続する日印協会(JIA)の創設メンバーの一人でもあったので、自分が建てた寺院に正義を写してくれる画家を探すように(JIAを通して)日本側に協力を求めました。 JIAは大日本帝国政府にも援助を求めました。

(訳補注:日本側の記録によると実際はまずインド大菩大会側からコルカタ総領事館に相談があり、日本の文部省等と諮ったが、民間のことでもあるので日印協会と相談、協力しながら対応。香雪の派遣時には日印協会と同コルカタ商品館が実質の窓口となり、ダルマパーラ死後、遠い異国の土地で孤立、精進する香雪を支えた。

アジャンタの有名な洞窟壁画を研究していた大乗仏教の僧侶の息子である画家、野生司香雪は、この仕事に最適な候補者でした。 インドと日本の芸術の融合に精通していた彼は採用され、インドで 5 年の歳月をかけて壁画を完成させました。

ダルマパーラ自身は、香雪の素描スケッチ「降魔成道」を 1 枚だけ見ることができました。

これを見て満足した彼は、香雪に対し壁画プロジェクトにゴーサインを出しました。

その 4 か月後の 1933 年にサールナートで亡くなりましたので、長さ 44 メートル、高さ 4.4 メートルの壁画の完成品を見ることができませんでした。

(訳補注:、香雪が最初の壁画、降魔成道図を描き始めた時に、ダルマパーラが出家するためにコルカタから初転法輪寺にやってきた。ダルマパーラは制作中の壁画を見て南伝仏教・上座部仏教の立場から意見を言い論議が続き、香雪はそれを調和させながら制作を続けた。降魔成道が完成した時、ダルマパーラは壁画を見て感動、ひして彼が生前に実際に見た唯一の記念すべき画題となった。ダルマパーラはその後間もなく亡くなった。

ダルマパーラの死去に伴い、香雪は自身の絵画の展覧会を開催(自身の絵を販売)することで自らこのプロジェクトに資金提供しました。 最後の方で、JIA と日本政府も協力してくれました。

(訳補注:JIA関係者の高楠順次郎博士等が見かねて国際交流基金と掛け合い助成金を得て送金、また国内からの義援金を現地コルカタ商品館経由で香雪に取り次いだ。

バラナシの人々は、1936年に完成したこの壁画の画家に対する感謝の気持ちを示すために、香雪に感謝状を贈りました。 現在の「野生司香雪画伯顕彰会」メンバーの宮原豊氏によれば、日本に帰国した香雪は東京駅で「大喝采」を受けたそうです。

最近の修復作業は、新型コロナウイルスのパンデミックが発生する直前に開始されました。 インド大菩提会の総長シーワリー・セラ尊者はJIAと連絡を取り、東京のインド大使館と協力して香雪の出身地である香川県での子孫を追跡した。 彼らは木島隆康教授と学芸員の溝渕茂樹教授に相談しました。

本国のインド政府が外貨規制法(FCRA)に基づいて外貨の受け入れを禁止しているため、インド大菩提会が(日本人の)援助と資金を求めているという声が伝わったとき、香川県の仏教徒たちは復興のために無償でお金を寄付しました。

(訳補注:「シーワリー師がJIAと連絡を取りインド大使館と協力」の部分は詳しく説明が必要である。長くなるが実際は当時初転法輪寺の住職だったシーワリ―師が、日本のインド旅行会社トラベルサライの中村社長と懇意になり、傷んだ壁画を修理してくれる日本人を探して欲しいとの話を聞いたことに始まる。同氏はそれを知人の香雪出身地の高松に住む、全国の寺院を対象とした通販会社の生田氏に話した。氏はかつて現地で壁画を見て感動し、それを全国の寺院に伝えたいと考え、昭和60年に香川県で学芸員として香雪回顧展を企画した溝渕氏に依頼してカタログに画伯を紹介する記事を連載中であった。そこで相談すると氏も回顧展開催後にその話を知っており気にかけていたといい、間もなく文化財、美術専門家の立場から人脈をたどりその実現ため組織づくりに取り掛かかった。そしてまず保存修理工事の助言者として香雪の母校、東京芸術大学保存修理専門家の木島隆康教授の了解を取り付け、次に工事担当を快く賛同してくれた彩色設計に依頼した。次に必要経費を集めるための組織づくりが必要と考えて、まず日本で壁画の原図を所蔵する大本山永平寺の乞い個展でご縁を得た南澤副貫首に相談、自ら顧問を引き受けていただき、生田氏を会長として野生司香雪画伯顕彰会を立ち上げた。その後、まずは渡印しての事前現地調査と初転法輪寺側の考えを確認するために、工事担当者と諮って手弁当で都合4回渡印して念入りに確認を重ねた。現地で初めてシーワリー師と面会した際に計画を伝え、またもしかして寺院側で経費を負担してもらえるかと聞くと、日本側の奉仕でお願いしたいとの答えだつた。その後、シーワリー師は寺を管理する団体、インド大菩提会総書記の2年毎に行われる選挙に立候補し当選、インド側の受け入れ態勢を整えてくれた。。さらに師は数度来日し、私たちとの協議、準備進行状況を確認し、また募金のための関係団体等へのあいさつ回りに同行された。そしてある時、JIAが主催するインド大使館との懇親会に当時のJIA事務局長宮原氏の誘いで同溝渕氏が同伴して出席した。その際、新任のインド大使館ヴィヴェーカナンダ文化センター所長シッダルト・シン氏が参加していた。奇遇にも彼はシーワリー師のバラナシ大学の同窓生で、しかも同大仏教学科の教授であった。その後、同氏は顕彰会の活動に強い関心を持ってインド政府の財政支援を画策してくれたが実現しなかった。しかし、インド大使館の大使らの壁画保存修理への理解を深める手助けをしていただいた。。さらに任期を終えて帰国するまで私たちの講演会や展示会開催に協力を惜しまれなかった。

この間の事情が残念ながら本紙の執筆者に正確に伝わっておらず、大菩提会、インド政府側が主導し、日本側が協力したという形の原稿になっている。

 

その後修復プロジェクトは作業が本格的に始まり、2019年末に第1段階が実施されたものの、世界的なパンデミックにより作業が中断されました。 そして昨年(2022年)、プロジェクトは再開され、溝渕教授率いるチームによって無事完了しました。

今日、全世界の仏教界から巡礼者がパンデミック後の聖地サールナートへの訪問を再開し、ダンマチャッカ・スートラの朗誦(世界中の大戦、モンスーン、パンデミックの間もムラガンダクティ・ヴィハーラで毎晩欠かさず行われている)に参加する中、彼らはその奇跡の壁画を鑑賞することができます。 香雪のインドと日本のハイブリッド(二つの文化の組み合わさった)壁画が再びその素晴らしさを取り戻しました。

これは、一世紀にわたって広がった日印協力の物語でもあり、伝説的な日本の芸術家の献身、彼の家族と後輩たちの献身、香川県の謙虚な人々の自発的な慈善活動、そしてインドにスリランカ人によって建てられた寺院に対するインド政府と日本政府の支援の物語でもあります。

 

写真 1: 香雪のインドと日本のハイブリッド(文化の組み合わせの)壁画が再び素晴らしさを取り戻しました。降魔成道の図(マーラと彼の軍隊が菩薩を攻撃)

写真2: スジャンタが菩薩にキール(牛乳のおかゆ)を捧げる図

写真 3: ムラガンダクティ ヴィハーラで進行中の修復作業

 

写真 4: 修復の裏方: 左から宮原豊、溝渕茂樹教授、伝説の芸術家・香雪の本・写真を掲げるJIA の西本達生氏


野生司香雪とサールナート釈尊一代記の壁画

5月12日~21日に長野市で「野生司香雪展」が開催!

 

長野市で「野生司香雪展」が開催されます。主催は長野市仏教会(←リンク)です。

 

2023年5月12日~21日、長野市北野カルチュラルセンターで「野生司香雪展」が開催予定です。

Times of India 紙(2023年2月5日)「日本から愛をこめて:色褪せた壁画が再び生き返る」リンク

 

日本のアーティストによって制作されてから何十年か経て、仏像の壁画に新たな命が吹き込まれた、と Isha Jain は報告している

 

1917 年の初夏、日本の伝説的な芸術家が、蓮の花の聖地であるインドに向かい、仏教美術を学び、アジャンタ石窟寺院で働きました。 ここで、彼は著名な日本人画家の荒井寛方やインドと深いつながりを持つ他の数人の日本人画家とともに、彼の故郷である日本にもよく知られた壁画を再現するためにアジャンタ洞窟を訪れました。 インド訪問の目的の一環として、彼はインドのさまざまな地域を旅し、日本美術に与えた特徴的な印象を得ました。.

1932 年 11 月、芸術的使命を帯びた仏教徒として、野生司香雪はムクル・デイを訪れました。ムクル・デイはその後、カルカッタの政府芸術学校の校長を務めた人物です。 同じ年、この伝説的な日本の芸術家は、1931 年にアナガリカ ダルマパーラによって設立されたサルナートの初転法輪寺(ムラガンダ クティ ヴィハーラ寺院)で仏陀の生涯を描いた壁画を制作するために選ばれました。

「寺院が建てられたとき、ダルマパーラは日印協会にブッダの生涯を描くアーティストを送るよう依頼しました。 野生司は若い頃にアジャンタの洞窟壁画の複製を作成した経験があったため、この大規模なプロジェクトを与えられました」と、インド大菩提会の筆頭僧兼事務総長シーワリ―師は語っています。

47歳の野生司はインドをこよなく愛し、その申し出を受け入れました。 アシスタントと共に、彼はブッダの生涯のさまざまな場面を描いた長さ 44 メートル、高さ 4 メートルの壁画を完成させるために 4 年間熱心に取り組みました。 約50年後、壁画は色褪せ、絵は剥がれ始めました。

初転法輪寺の住職は、貴重な現代美術の遺産を保存する手助けをするよう日本の人々に訴えました。 保存作業は 1977 年に構想されていました。しかし、資金不足のため、その計画は進まず時間だけが過ぎて行きました。

壁画の破損がさら進んだ20年ほど前に、サルナートからの訴えは日本の学芸員(キュレーター)であった溝渕茂樹に届き、物事が動き始めたのはその時からでした。 「野生司香雪画伯顕彰会」が発足して間もなく、溝渕と技術監修者の東京藝術大学の木島孝康教授を中心に、201911月から保存作業の第1段階が始まりました。

「野生司によるこれらの壮大な壁画は、日本とインドが共有する歴史的および精神的に重要な有形文化遺産であります。 同時に、壁画とそれが表すメッセージは仏陀の信奉者のものです」と、顕彰協会の幹事である溝渕茂樹は言います。

「野生司香雪は、インドの気候に耐えられるように、その時代特有の高度に特殊化された鉱物絵具を使用することを選択したので、私たちは同じ絵具を一から複製し、壁画の絵具が著しく退色した部分を修正しました」と彼は言います。

また、塗装が部分的または完全に剥がれた部分については、修復チームが古い壁画の写真を参考にしながら、欠けている部分を捕彩色する作業を行いました。 保全工事は 2022 年 12 月に終了しました。この年は、インド独立 75 周年と日印外交関係樹立 70 周年を記念する年です。

「壁画制作における野生司の狙いは二つありました。 一つは、そうすることによって、彼はブッダに謙虚な献身を捧げようとしました。 第二に、壁画はインドで仏教芸術の復活を目の当たりにし、インドと日本の両国を近づけるため務めたことでした」と、 東京のインド大使館ヴィヴェカーナンダ文化センター前館長のシッダールト・シン教授(バナーラス・ヒンドゥー大学仏教学科教授)は言っています。シン教授は野生司の貢献を記録するために、2022 年 12 月に開催された閉会式で、ICCR(インド文化交流評議会) のヴィナイ・サハスラブッデ会長の出席の下で。モノグラフ(冊子)を出版を発表しました。

 

 「今回は日本の専門家が保存作業として仮保存と補彩色の作業を行いました」とシーワリ―ン師は言っています。野生司香雪の孫である野生司義光は、「完成から80年以上経った今でも、壁画が日本とインドの深い精神的結びつきの象徴であり続けていることは大きな喜びです」と語っています。

2022年12月 15日 日本から使節団が到着、そして16日 落慶式(竣工式)の模

 12月15日、シーワリ―師が完成した壁画の保全工事を視察、その日午後に到着する日本からの使節団を迎える準備をする溝渕さんもシーワリ―師も満足そうな様子。そして、午後、使節団が寺院に到着。保全工事を請け負った彩色設計の小野村社長が使節団に説明。歓迎の記念写真。

 そして翌日16日は落慶式(竣工式)です。シーワリ―師から感謝の祝辞を受ける溝渕さんが最も安堵に胸を撫でおろした瞬間です。二人の笑顔は、ここ十年間の両者の培った信頼関係から生まれたものでしょう。溝渕さんにとっては、香雪と出会って37年、25~6年前から徐々に聞こえ始めた保全工事に対するインド大菩提会の要望に応えて、顕彰会を立ち上げて10数年、今こうして大願が成就されました。インド政府からもICCR(インド文化評議会)会長ビナイ・サハスラブッデ博士も参加され祝辞を述べられました。インド大使館VCC前館長シッダルト・シン教授(バラナス・ヒンドゥ大学)は、この壁画保全工事完成を祝し、この日のために本を出版されました(Remembering ”The Legend”)。東京藝術大学木島隆康名誉教授のお話に胸を打たれました。

第二期・第三期の保全作業
11月27日~12月18日まで、インド・サールナートの初転法輪寺(Mulagandha Kuti Vihara)の釈尊一代記の日本画壁画保全修復チームがインド訪問します。今回の作業チームは7名です。2019年の第一期工事が終了後、2020年2021年と2年間、コロナ禍のために中断されましたが、3年ぶりに第二期・第三期の工事が再開されます。
12月16日には施主インド大菩提会の主催により竣工式が開催予定です。それまでにしっかり保全活動を完遂したいです。この日に合わせて日本側から関係者がサールナートを訪問予定です。

長野市での野生司香雪展は2023年に延期されました。

コロナの影響で、2022年の善光寺御開帳の時期に合わせた「野生司香雪展覧会」は延期、

2023年5月12~~21日開催に内定したとの知らせを受けました。

野生司香雪展覧会@長野市

 

2022年5月中旬の約1週間、善光寺の主催で「野生司香雪展覧会」が北野美術館で開催予定です。主催は長野県仏教会。詳細が決まり次第、HPにアップします。

 

はじめに

 

なぜ「インド・サールナートの野生司香雪画伯の壁画修復」に関わっているのか・・・・

 

インド・サールナートの仏教寺院の壁画保全修複に、なぜ宮原君は関わっているのか、たまには「お前にしてはいいことをしているなぁ」と誉めてくれる方がいないではないですが、大多数の人たちは信仰心と無縁で文化活動も門外漢の俗人がなぜこのプロジェクトに関わっているのか訝しく感じているようです。しかし、ある時から仏縁に導かれてプロジェクトに関わることになり、「野生司香雪」を通して「縁」が広がっていることを感じます。自分のホームページを立ち上げるに当たりこのように言い訳から始めますが、このホームページを眺めると多少ご理解いただけると思います。

 

さて、仏教生誕の地インドでは、日本に仏教が伝えられた頃には仏教は衰退していました。そのインドのガンジス川沿いの古都ヴァラナシ近くのサールナート(鹿野苑)の仏寺本堂に日本人画家が描いた「釈尊一代記」の壁画があります。ここはブッダガヤで悟りを開いたブッダが初めて説教をした地として知られています。日本の明治時代にインドでセイロン(現在のスリランカ)生まれの仏教徒ダルマパーラにより仏教再興運動が始められましたが、昭和初期にこの地に建立されたばかりの寺院に壁画を描いてほしいと日本側に要請が寄せられました。そこで派遣された日本人画家の野生司香雪は足掛け5年の歳月をかけて1936年(昭和11年)に、高さ4㍍、長さ44㍍の壁画を完成させました。この壁画はお釈迦様の生涯を分かり易く紹介していることで世界中から訪れる仏教徒や観光客に知られていますが、完成後80数年を経た現在何ヵ所か剥落が生じているために保全修復をすることが急務となっています。仏教を通して何世紀にもわたりインドから受けてきた恩に報いようと精進・献身した日本人画家・野生司香雪の意志を受け継ぎ、インドにある日本人の描いた貴重な文化財を後世に残そうと、先ずは香雪の生まれ故郷である香川県の人々が「野生司香雪画伯顕彰会」を立上げて、具体的に行動を起こしました。

 

そんなある日に筆者が勤務していた日印協会に、野生司香雪研究家の溝渕茂樹先生(香川県出身で香川県文化会館前学芸員・徳島文理大学講師)が、戦前の日印協會會報に野生司香雪の投稿している記事があるはずなので探してほしいと訪ねて来られました。野生司香雪をサールナートの壁画揮毫の画家として人選し、インドに派遣したのは日印協會でした。香雪自身が制作途中の経過や完成した後にも多くの記事を會報に寄稿していて、それを読むと当時の様子が生き生きと蘇ってくるのでした。その時に溝渕先生にお会いしたのを縁に(これこそ私にとって最初の「仏縁」でした)野生司香雪画伯顕彰会会員の末席に名を連ね、事務局長の溝渕先生の東京での連絡員的な仕事をすることになりました。

 

顕彰会は保全修複に対するインド大菩提会(仏教会)の要請を受けて、東京藝術大の木島先生に総合監理を依頼し、寺院絵画の修復などを手掛ける京都の専門会社の協力を得て、サールナートの初転法輪寺本堂の壁画三面を3年かけて(3回)、毎回日本から技術者6~7名を(約3~4週間)インドに派遣するという保全修複計画が練られました。必要資金は5000万円が見込まれるが、それをどのように工面するか第1期工事を終えた後の今も課題であります。

 

インドにある日本の文化財の保全修復なのだから日本政府(例えば国際交流基金)の支援が得られないか、印日文化交流促進の観点から在日インド大使館を通してインド政府に何らか財政支援をしてもらえないか、等々の可能性が検討されました。しかし、そもそもインド大菩提会というプライベートな宗教団体の所有物の修復に日印両国とも公的資金を使うことは馴染まないとのことから、全てを民間資金で賄うことにしました。そこで故・平山郁夫先生ゆかりの公益財団法人文化財保護・芸術研究助成財団が募金のとりまとめをお引き受けいただくこととなりました。

 

あくまでも「文化財」の保全修復が第一義的な目的であります。インド大菩提会は宗派に関係なくあまねく広く活動する団体ですので宗教色は出さずに、従って日本の仏教界に対しては特定の宗派に偏することなく広く薄く支援をお願いすることとし、野生司香雪と所縁のある人々や寺院を中心に少しずつ協力をお願いしていこうということになりました。以上は、野生司香雪画伯顕彰会の基本的な考え方であり溝渕先生が進められてきたシナリオですが、私はこの話の流れをよく理解することが出来たので、すんなりと協力することになりました。

 

この保全修複プロジェクトを令和元年(2019年)11月末からスタートするのを機に美術・文化・歴史といった学術面を中心とするフォーラムを1031日に東京九段のインド大使館講堂で開催することになりました。それが、添付の案内チラシです。9月初めから約1か月間、チラシの版下作成、印刷発注から発送業務まで多忙な毎日を送りました。このフォーラム開催準備を進めるために溝渕さんの助手としてインド大使館との連絡係を務めることになりましたが、フォーラム開催できたのはDIC(ディスカバーインディアクラブ)の皆さんの絶大なる協力の賜物であります。

 

案内状発送先に香川県とともに何故か信州・長野県の人や寺院が多く含まれていました。それはインドから帰国した野生司香雪は善光寺雲上殿の壁画制作にかかわり、戦後は山ノ内町・渋温泉に住み、昭和48年に88歳で他界するまでそこに住んでおられたこと、だから香雪の後半生のことは長野県人の方に良く知られていることなどを知ることとなりました。香雪のことを紹介する2019年413日の信濃毎日新聞の記事をご覧ください。思えば私は、信州・長野県に生まれ育ちながら、かつインドに数年を住んでいながら、野生司香雪のことを何も知らなかったです。このように、日印協会で溝渕先生にお会いし、野生司香雪が信州・長野県に深く関係していることを知り、さらに永平寺に保管された壁画の下絵を倉庫から見つけて表装するのに尽力された大本山永平寺の南澤道人副貫主(現在)は信州生まれの方でした。

 

野生司香雪画伯顕彰会は日本語のホームページを開いておりますが、この仏伝壁画の修復工事がアジア各国(スリランカ、ミャンマー、タイ、ベトナム等々)だけでなnosu-くアメリカやカナダ等の仏教徒や、更には文化財保護に関係する方々からも注目されていることに鑑み、英文ホームページを作成しようという話がありました。そこで先ず実験的に私が管理するサイトに「英文ホームページ」を立ち上げることになりました。

しかし、このサイトの容量がいっぱいになったので、和英文サイトを合体させました(202011月23日)。次のURLからご覧ください。

   野生司香雪(和英文)サイトJapanese&English Site: Nosu-Kosetsu-Tokyo⇐Link


20018年11月に訪日されたインド大菩提会事務総長シーワリ―師(Ven.P. Seewalee, General Secretary of Maha Bodhi Society of India)がインド大使館ヴィヴェーカナンダ文化センター(VCC)館長シッダルト・シン博士を表敬訪問。2020年から実施予定のサールナート初転法輪寺の野生司香雪揮毫の仏伝壁画修復計画について報告し、そのためにインド大使館の協力を依頼しました。最初の計画として、インド大使館VCCでのフォーラム開催について話し合いました。

 

 

写真は、正面真ん中がシッダルト・シン博士、向かってその右はシーワリ―師、右端は大菩提会幹部、シン博士の左は溝渕茂樹氏(野生司香雪画伯顕彰会事務局長)、左端は宮原(日印協会参与)。


2018年11月 日印協会会員懇談会で(新宿中村屋)



          信濃毎日新聞記事(2019年4月13日)を入手希望される方は、同新聞社に直接お問い合わせください。



インド大使館のニュースレター ”Indian Connection"(第8号) に

香川県高松市で開催された「野生司香雪展覧会とフォーラム」が紹介されました(和英文)。



両記事ともに全文を掲載していません。これら四国新聞、朝日新聞に掲載された完全な記事コピーを入手希望される方は、当該の新聞社までお問い合わせください。


インド大使館スリヴァスタヴァ首席公使を会場案内しているのは宮原です。


訪日中のインド大菩提会GMのBhante Seevali師と今後の壁画修復計画について打ち合わせました。

コロナ感染により、2020年11月第2期工事、2021年2月第3期工事は延期を余儀なくされました。計画を練り直し、今後は2021年11月か、あるいは2022年2月に、あるいは今後のコロナ次第ではありますが、場合によっては更に延期することもありえます。工事も第2期と第3期を同じ期間内に短縮して完了させることもありえます。

写真は八王子市内の釈迦牟尼国際センター、シーワリ―師と溝渕氏です。2021年1月26日(インド共和国記念日)に by宮原


ヴァルマ駐日インド大使が善光寺をご訪問

サンジェイ・クマール・ヴァルマ駐日インド大使閣下、グンジャン・ヴァルマ大使夫人、並びにヴィヴェーカナンダ文化センター所長 シッダールト・シン教授が長野市の信州善光寺を参拝されました。2021年5月19日

インド大使館FBにリンク


野生司香雪画伯顕彰会による「野生司香雪展覧会と講演会」(2021年7月)

 

インド大使館、ディスカバーインディアクラブ(DIC)との共催で、716日から開催されます。

詳細は添付のとおりです。

 

日本の昭和初期(1930年代)、インドはガンジス川中流の聖地ヴァラナシ近郊サールナート(鹿野苑)に建設された仏教寺院本堂の壁に、「釈尊一代記」の壁画が日本人画家・野生司香雪によって描かれました。今から85年前に描かれた壁画は「経年劣化によるひび割れや変色を修復したい。ただし、修復は限られた範囲内で、オリジナルの絵の価値を損ないたくない」というのが、所有者であるインド大菩提会の基本的な考えでした。生前、平山郁夫画伯は「これは優れた日本美術である」と、海外にある日本の芸術作品として高く評価をしておりました。

 

そこで、「日本画の修復は日本人の手で行いたい」として結成されたのが野生司香雪画伯顕彰会です。第1期工事を終えたものの、コロナ感染のために第2期、第3期工事は延期したままですが、状況が好転したら直ぐにでも工事を始められるように怠りなく準備を進めています。引き続きご支援をお願いします。

 

話は変わりますが、先日、浅草寺善龍院の清水谷尚順住職にお会いしました。別所温泉・常楽寺の半田孝海師と浅草寺の清水谷恭順師を曾祖父とする方で、曾祖父二人は善光寺雲上殿(納骨堂)の壁画制作中の野生司香雪画伯と昵懇の間柄だったそうです。「善光寺縁起」は昭和24年に完成しました。その頃復員した半田孝海師の次男・孝尚氏は、恭順師により浅草寺に迎え入れられたそうです(養子です)。孝海大僧正の長男・半田孝淳師は天台座主、次男・清水谷孝尚師は浅草寺貫主になられましたが、ご存じのとおり二人とも上田高校(前身の上田中学卒)の大先輩です。

 

 

今回の講演会には、浅草寺と常楽寺とを結びつけた善光寺白蓮坊の若麻績敏隆住職も登壇されます。善光寺御本尊はインド由来の仏像であると伝えられています。野生司香雪画伯を通して広がる「仏縁」の広がるのを感じます。




信州渋温泉 不動山荘とその周辺(2021年10月3日)


20220405 インド大使館ヴィヴェーカナンダ文化センター館長シッダルト・シン教授の非公式の送別会が開かれました。大変お世話になりました。元のバラナス・ヒンドゥ大学に戻られました。


インド大菩提会事務総長(General Manager)のシーワリ―師が訪日、2022年9月
 2022年9月2日、訪日中のインド大菩提会シーワリ―師、野生司香雪画伯顕彰会の溝渕茂樹先生と宮原は、午前中に仏教伝道協会の青木晴美常務理事を、また午後は野生司義光様(野生司香雪直系の孫)も合流して日印協会の斎木理事長を表敬訪問しました。
 野生司香雪画伯顕彰会の溝渕先生により、サールナート初転法輪寺の壁画修復プロジェクトや日印美術交流の歴史の一こまについて説明、従前からのご支援ご協力に感謝申し上げました。引き続き両協会からご支援・ご協力を賜りながら事業推進できることを心強く感じました。
 壁画修復は、第一期修復工事を2019年12月に終了したものの、第二期、第三期はコロナ禍の為に中断しておりますが、本年2022年11月26日から12月16日まで第二期、第三期を同時に完了させる予定で準備しております。インド大菩提会も12月16日(か15日)にサールナートに於いて工事完了の竣工式を予定しています。
 9月4日には、シーワリ―師は、札幌中央寺に滞在中の永平寺の南澤道人貫首を訪ねました。同行されたのは溝渕先生とトラベルサライの中村義博社長で、中央寺住職の熊谷忠興師にもお会いしたそうです。
 さて、表敬訪問の際の写真です。最後に添付した白黒写真ですが、シーワリ―師が大菩提会図書館所蔵の本の中で見つけた写真だそうです。この写真には日印協会(Indo-Japan Association)関係者と撮影と記されていますが、ダルマパーラ居士が訪日した1902年に日印協会設立準備していた頃の写真です。ダルマパーラ居士以外の方が誰なのかは今のところ判別できません。ここには少なくとも大隈重信、渋沢栄一の顔は見えず、仏教界の方々が多いように見受けられます。高楠順次郎博士(日印協会の理事、ダルマパーラとは生涯の友人)が入っているのか、あるいは他の日印協会会員(平井金三、桜井義肇等の創立時の会員はダルマパーラの友人)がいるのではないかと考えられますが、今後調べてみたいと思います。

20221006 サンジェイ・クマール・ヴァルマ大使の歓送会で

 大使在任中に、野生司香雪関係の様々なイベントで大使からの支援をいただきました。2019年10月末の最初のフォーラム、2020年9月高松での野生司香雪展、2021年7月野生司香雪講演会と展覧会等々です。ありがとうございました。次の任地カナダでもますますのご健康とご活躍をお祈りいたします。

DCM(次席)のMr. Mayank Joshi に今後の支援をお願いしました。