機械技術部関係

 「ジェトロ40年史」(1998年)にただの一行も掲載されなかった「幻の大事業」であった。

その理由について、どこかに書き残しておきたいと考え、本当はジェトロの後輩たちに読んでもらいと思いながら、先ずは上田高校65期HPに場を借りて記録を残した。面白かったと何人かの方から感想をいただいた。あの頃(1990年代)、日本のロボット技術、AI(人工知能)技術は世界の最先端を行っていた。今でも産業ロボットの世界では競争力があるのかもしれないが、あれから20年、30年と経ってみると最先端部門は残念ながら追いつかれ追い越されてしまった。

 本プロジェクトは、岡部機械部長―鳥海計画課長(庶務課長)—庶務主任の縦の線で全体を管理していたが、このプロジェクトに尽力された直接の上司・計画課長の鳥海さんは1992年3月末にミュンヘンに転勤されたが、数年後に病気で帰らぬ人となってしまった。この報告書に岡部部長も鳥海課長の名前も記載されていないが、実際には「鳥海プロジェクト」と呼ばれるべきものであった。

 自分も鳥海さんとほぼ同日の1992年3月にサンフランシスコに赴任したので再会することもなかった。後日、有志で取りまとめらえた「鳥海さんを偲ぶ」という小冊子に投稿し、その頃のことを書き残した。しかし、1998年に私はどこにいたのだろう。仙台にいた頃に本部で編纂されていた40年史に関わることが出来なかったのが残念である。

 

詳細はこちら➡幻のロボット技術展(上)同(下)(2019年5月に掲載)